3月5日 戸塚武道フェスティバル(大正の子供たち出演)
3月27日 卒業生を送る会、大正剣道同好会総会
4月10日 戸塚区錬成大会(消防訓練センター)
(注)3月は学校行事で体育館が使えないため休みの日がありますのでご注意ください。
平成28年度戸塚区合同けい日程(戸塚スポーツセンタ)
4月16日 5月14日 5月28日 7月23日 8月27日
9月17日 10月22日 11月12日 12月24日 1月12日
2月18日 3月4日
平成28年昇段審査予定
3段以下 4月29日 12月11日 県立武道
4、5段 5月15日 11月27日 県立武道館
平成29年2月5日(会場未定)
曲解・五輪の書
「我が兵法を二天一流と名付け、数年ににわたって鍛錬したことをここに初めて書物にあらわそうと思う。」との書き出しで宮本武蔵が剣術書を書き始めたのが寛永20年(1643年)のことです。武蔵60歳のときでした。この剣術書が有名な「五輪の書」です。今日、剣術のみでなくビジネスマンの参考書としても広く読まれていますが、やはり剣道をする者にとっては実戦の体験に基づいて書かれた貴重な参考書です。難解な部分もありますが、読むたびに数多くのヒントを得ることができます。
このページでは気の向くままに五輪の書を開き、私たちの剣道に応用できる部分を、曲解、誤解を恐れず感じたままを述べてみたいと思います。名付けて「曲解・五輪の書」
もちろん武蔵の時代の剣と現代の剣には大きな開きがあります。昔は「踏み込んで切る」今は「飛び込んで打つ」このことだけでも刀法、体の運用に格段の開きがあることがわかります。それゆえに理解できないこともあれば曲解や誤解が生まれることもあるでしょう。また自分の修行の不足からくる理解不足ももちろんあると断言できます。
そこは読者とともに考えながら、道場で研鑽しあう材料にもなろうかと楽観的に考えています。五輪の書の随所にみられる「よくよく工夫すべきである」ということばを念頭におき、書いていきたいと思います。
なお記事中の引用文は教育社新書 大河内昭爾訳 「五輪の書」記載のものです。
平常心(水の巻)
宮本武蔵は著書「五輪の書ー水の巻」で平常心について述べています。
心はふだんのときも戦いのときも、少しもかわらず、緊張しすぎず、だらけず、こころを静かにゆるがせて、そのゆるぎが一瞬もとまらないようにしなければならないと、大変にむずかしいことばでのべています。いつもとかわらないこころを平常心といい、剣道では大切なことばとされています。試合でもらった手ぬぐいの文字にも平常心と書かれたものがよくあります。
平常心とはいつもの気持ち。「試合のときはがんばる」「試合だから大きな気合いをだす」「審査ではおもいきって技をだす」などとよくいいますが、試合のときはとか、審査のときはとか、たくさんの人がみているからなどと思うことでもう平常心ではなくなっています。日頃のけいこで自分の力を精いっぱい出して、試合や審査でそれをいつものようにやるという取り組みかたでないとうまくいきません。
それがわかっているのですが、私自身いまだに平常心でのぞむことができません。武蔵の心境に少しでも近づくためにはまだまだ修行をつづけなければなりません。
おもてをさすということ(水の巻)
おもてとは顔のこと。おもてをさすというのは、敵の顔を自分の刀で突くように、絶えず機会をうかがうことをいいます。
「敵の顔を突こうという心があれば敵は顔も体も、のけぞるようになるものである。敵がのけぞるような状態になればもはや勝利を得たことになる。だから面をさすということを忘れてはならない。」と言っています。
これを日頃のけいこにおきかえると、いつも言われている構えのことに重なります。つまり剣先の高さは「のど」の位置、剣先の向けるところは相手の「顔の中心(目と目の間)または左目」です。この状態をくずさず、「面をさすぞ。」という強い気持で前へ出れば相手は退ります。退がる時は重心が後ろ足にかかり、のけぞったような姿勢になります。これで勝利の形が出来上がります。ここが思い切って打ちこむチャンスです。
逆にいえば、「退がると負け。」につながります。簡単なようですが難しい。よくよく練習しなければならないことです。
太刀の持ち方のこと(水の巻)
宮本武蔵は次のように述べています。「太刀の持ち方は、親指と人差し指を浮かすような心持にし、中指は締めず薬指と小指を締めるような心持で持つのである。」竹刀を持つ手を注意して見ると、親指と人差し指に力が入っている人が少なくありません。ここに力がはいると手首が動きにくくなり、鋭い打ちがでません。自分の握りをよく確かめてください。
武蔵は同じ項でさらに次のようにも述べています。「すべて、太刀にしても、手の持ち方にしても、固定することを嫌う。固定は死ぬ手であり、固定せぬことが生きる手である。」 相手に攻められたとき全身に力が入り、体が固定してしまい受けるだけで精一杯となり、応じ技、返し技が出せないということは日常的に経験します。「固定せぬこと」。言葉で分かっていてもなかなかできません。
さんかいのかかわり(火の巻)
さんかいとは漢字で書けば「山海」。敵が山と思えば海と仕掛け、海と思えば山としかける。つまり敵の予測しない攻め方を考えろということです。また、こうも述べています。「同じことを二度くりかえすのはやむを得ない。が、三度はするものではない。一度で成功しなければ、もう一度攻めても最初の時ほどの効果はない。敵の意表をついて仕掛けるべきである。」
面に飛びこんだらかわされた。ならば次は払って面、剣先をおさえてからの面、あるいは小手から面など、ひごろ基本打ちでやっている技を思い切って出していくべきです。技はいろいろ使って自分の身につけなくてはなりません。自分の得意技だけのけい古では上手にならないのです。
生涯剣道
生涯剣道。つまり一生剣道を続けること。剣道はその特質として、何歳になっても続けられるといわれています。なるほど80歳を超えた方が元気に稽古をしておられることは珍しくありません。宮本武蔵はどうだったのでしょう。
五輪の書、地の巻の序に武蔵は自分のことをこのように書いています。
「13歳のとき初めて試合をして勝った。21歳の時都(京都)にのぼり有名な兵法者と出会い数度の勝負をしたが、負けることはなかった。その後29歳のころまで全国を回って、多くの兵法者と出会い60回以上の勝負をしたが一度もまけなかった。」この間に有名な吉岡一門や佐々木小次郎との戦いも行われたようです。
30歳のころ武蔵は気づきます。「これまで自分が勝ったのは、決して剣の道を極めたからではない。自分に備わった才能と運が良かったこと、または相手の稽古が不十分だったからなのだ。」それ以来武蔵はさらに剣の道を深めようと朝に夕に鍛錬を続けます。そしてようやく50歳になったころに剣の道の真髄を会得したと思えるようになったのだそうです。
天才といわれる武蔵でさえ50歳まで修行を続けたわけです。武蔵のレベルにはとても到達できませんが私たちはいま平和な時代に生きて剣道を「楽しむ」ことができる環境にあります。生涯の目標として武蔵同様長く剣道を続けていけたら幸せなことだと思います。
戦う場合の姿勢のこと(水の巻)
これまでに姿勢のことは特にうるさく注意をされてきました。しかし気をつけているつもりでもいつのまにか姿勢が崩れてしまうのが悩みです。
姿勢は昔も今も重要なことに変わりはありません。武蔵は水の巻で戦う場合の姿勢のことを細かく述べています。数えてみたら頭から足先に至るまで20項目ありました。その中から私たちが応用できそうなものをあげてみましょう。
(1)顔はうつむかず、仰向かず
つまりまっすぐ相手に向かいなさいということです。構えを横から見ると、あごがでている人、うつむき加減の人などがいることに気付きます。特にうつむき加減なひとは、相手からみると、面を差し出して打ってくださいというような構えになります。当然相手にとっては打ちやすく感られます。
(2)目の玉を動かさないように、まばたきをしないような気持で、目は少し細めに
何かをじっと見つめるときはこのようになります。相手から目を離さず、じっと見なさいということです。
(3)首は後ろの筋をまっすぐに保ち、うなじに力を入れる
この後、肩から全身に平均して力がかかるようにする。両肩を下げ背筋をまっすぐに、尻をださずにと続きます。一言でいえばどちらかに片寄らずまっすぐに立てということでしょう。私は次のように習いました。「頭のテッペンを上から引き上げられている気持で」そして「けい古着のえりが首と常に接しているように立て」と。
(4)ひざから足先までに力を入れて腰がかがまないようにする
相手の一瞬のすきをみて打ち込むにはこれがとても大事なのですが、ひざから足先の力が抜けている人は少なくありません。特に左足のひかがみ(ひざの裏側)が曲がっていたり、左足のふん張りが足りなくかかとが上がっている人がいます。注意しなければなりません。
この項は次のような言葉で結ばれています。「平常の体のあり方を戦いのあり方とし、戦いの場合にも平常と同様のあり方で戦うことが大切である。よくよく研究すべきである。」
姿勢はいつでも訓練できます。歩きながら、バスや電車を待ちながらでもできます。常に意識しそれが普通の状態になるようにしましょう。
戦いのときの目つきのこと(水の巻)
剣道で一番大事なことは目、すなわち見ることと言われています。「一眼 二足 三肝 四力」という言葉もあります。武蔵は大きく広い目配りが大事だと言っています。具体的には目の玉を動かさないで広い範囲を見るように述べています。小さなところに目を奪われないようにして全体を見て、うわべだけの動きに惑わされないようにと説いています。
私は混雑した駅などを歩くときはこの方法を応用します。すぐ前の人だけでなく、対向者をグループで見るようにすると人にぶつかることなく進むことができます。
武蔵はこの項で、目つきには「観」と「見」が有り、「見」を弱く「観」を強くし、全体をつかむことが大切だと言っています。「見」は目で見る動作そのもの。「観」見る動作に心の働きが加わります。注意深く観察することです。剣道では「見取けい古」も大事なけい古です。人のけい古や試合を観察し自分のけい古の参考にしなければなりません。
また、この項の最後には、「こういうことは忙しい時に急にやろうとしてもできるものではない。常日頃からこのような目つきになって良く訓練すべきである。」と結んでいます。
この項を読んで、運転免許の試験で同じようなことを言われたのを思い出しました。
敵を打つに一拍子の打ちのこと(水の巻)
敵を打つに、相手に太刀が届く程の位置を取り、相手の心組みができないうちに、自分の身も動かさず心も動かさず、すばやく一気に打つ。これが一拍子の打ちである。
この一節は先手を取ることの重要性を説いていると思います。同じようなことを表す言葉に「先をかける」とか「先先の先の技」などがあり、先手を取ることの重要性は私たちも常に言われています。
ここで注目したいのは「自分の身も動かさず、心も動かさず」というところです。これは打つ気配を悟られるなということだと思います。打つ瞬間に左足をわずかに引きつける人、上体がわずかに前掲する人が結構います。これがあると打突を察知されてしまい、出バナ技を打たれてしまいます。打突の間合いに入るときは構えを十分に整えて、瞬時の打突ができるようにしなければなりません。
また、相手の心組みができないうちにという点は、つば競りになったときに重要です。打突を受け止められて相手に接近しすぎるとつば競り状態になりますが、ここで一呼吸おくと、相手は防御姿勢を取ってしまい、引き技のタイミングをのがしてしまいます。相手の心組みができないうちにすばやい二の太刀が必要になります。